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沖縄の過去、現在を学び 平和な未来につなげよう②

その2:沖縄で私の見たもの聞いたこと

 

CRM推進部 上田 千歳

 

その1から続きます。

2025年3月26日

1日目 ホテルの会場にて

 

県知事玉城デニー氏からのメッセージでは、日本の0.6%の国土に国内の70%を超す米軍専用施設がある沖縄の現状とこれから未来に向け長期的な視点で次世代へ過去を継承していく重要性を語られました。

 

 

舞台鑑賞「那覇青少年舞台プログラム」

 





沖縄の小学校5年生から高校3年生までの若者たちが構成する、歌と踊りの舞台です。色とりどりの衣装をまとい、生演奏に乗って歌が始まりました。

 

1本のさとうきびの視点で「命」を奪われる子供たちの物語が繰り広げられます。

戦場になる沖縄から船で本土に疎開しようとした子供たちの船が沈んだ、対馬丸の事件を題材にした内容でした。

 

「語ることの少なくなった戦争のことをどう伝えればいいの?」という投げかけをもつ芝居は、さまざまな感情を呼び起こすものでした。

 

玉木利枝子さんによる「戦争体験」講演

あと2カ月で91歳になる玉木さん

10歳の頃、予定していた対馬丸に乗船せず、兄と祖父、おばやいとこたちと、従軍した父とともに過ごすため、宜野湾から南下していく途中に見たもの、玉木さんの体験をお話いただきました。

 

玉木さんのお話

 

祖父の「ちびには無理だ」という言葉で対馬丸に乗らなかった玉木さん。地上戦が激しいさなか、従軍した父を追い、宜野湾から兄、祖父と共に南下しました。途中、兄が亡くなり、祖父が空襲の際、背中とわき腹に破片を受け、致命傷を負った後自決するという悲劇に襲われています。

会場が水を打ったように静まる内容です。

グラマン※が飛んでおらず、近いところで銃弾が行きかっていないことに気付き「戦争が終わった」とわかったそうです。

玉木さんは、自決用に渡された手りゅう弾の入った袋をふりながら、「勝った!勝った!」と声を上げて丘に登りました。

多くの死を目の当たりしながらも、勝つことを疑わなかった当時の多くの日本人を表すお話だと伺いました。

 

人間の頑張りも努力も、何も通用しない問答無用の世界、それが戦争。命さえあれば街も復興する、戦争を起こさない、戦場を作らないために話をしている。と最後締めくくられました。

 

※グラマン…小型の戦闘機。屋根や頭上すれすれに低空飛行し、狙いを定めて機銃操作を行う。

 

さまざまな感情が沸き起こる 

これまで、40万人の方が逃げるに逃げられない海に囲まれた島で、鉄の暴風と言われる銃弾の雨が降ったという事実をどう受け止めればいいのかもわからず、もう一歩踏み込んで知ろうとはしていませんでした。

10代のみなさんが歌い、踊る様を見ていると、こんなに輝いている命が断たれた、という事実があるのに、そのことに無関心でいられる自分に恐怖心すら覚えます。こんな気持ちになりたくなくて直面してこなかったんだと、思い至りました。

 

玉木さんが「遺体が重なっているのはなぜ?と思ったら家族が肩を組んで丸くなったまま焼かれているからだ」と気が付いた。と。80年後克明に語らせる大きな悲しみはどうしたって消すことはできません。

 

しかし、私たちには選ぶ権利があり、お互いの命を尊重して生きていく、という選択ができるはず、だと改めて考えました。

 

 

次回は玉木さんのお話をお聞きして文字に起こした内容です

その3に続く

 

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