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沖縄の過去、現在を学び 平和な未来につなげよう⑦

その7:沖縄で私の見たもの聞いたこと

 

CRM推進部 上田 千歳

 

その6から続きます。

ピースアクションInオキナワ参加の報告です。

 

2025年3月28日

3日目 フィールドワーク

この日のバス移動中も東江さんより、コープおきなわが作成している「おきなわ戦 戦跡ガイドブック」制作時のこだわりなどの説明をはじめ、沖縄が戦場になった背景などお聞きしながら移動しました。


コープおきなわが作成した「おきなわ戦 戦跡ガイドブック」より 

 

沖縄県平和祈念資料館 平和の礎

礎(いしじ)とは沖縄の方言で土台、基礎、という意味だそうです。

24万2千46名の戦死者のお名前が今も刻まれ続けています。国籍、軍人、民間人関係なく刻まれています。

東江さんの親戚のお名前が刻まれる碑の前で説明を受けました。


名前が不明な方は「名字○○の三女」と記されています。沖縄で暮らしていた、というだけで巻き込まれた14万を超える民間人。軍が異動してきたことで、南に避難していた多くの方が巻き添えになり命を落としました。

 

碑の周囲には多くのモモタマナの木が植わっていました。根から悲しみを吸い取ってくれると、沖縄では墓地に多く植えられていると教えていただきました。

 

 


平和の礎から司令部があった壕まで足を運んだ大学生の参加者とすれ違いました。

感想は「とても怖かったです」


平和祈念資料館では、沖縄戦に至った道から戦場を表現した展示室、証言を読むことができる展示室に時間をかけて見学しました。

 

沖縄戦の壕の中を表現した人形のコーナーでは、泣く子の口に布をあてがう母親の像があり、直視できないつらさがありました。

壕の中で泣くことをとがめられ、足手まといになることを疎まれ、命を奪われた多くの子どもたちがいた、ということを忘れてはいけません。

 

 

東江さんの子どもの頃は各家庭で豚を飼育しており、中学生の頃、その豚をと畜したが、命を頂くことには躊躇があったと言われました。生きている人の命を奪うことに対して躊躇がなくなる、ということは通常の精神状態では無理でしょう。

今、争いのない日常を生きる私の価値観など到底持ち出せないのです。

足手まといになる子どもを殺せ と命じる軍人をあり得ない、と思う一方、そのような精神状態に追い込む戦争自体がやはり許してはならないものだと思います。

 

 

その8に続く

 

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