コープ職員ルポ

ボブさんと九州の生協とのつながり

 

コープ九州商品政策部 井上嘉博

2017年3月、豆腐やすしあげ、豆乳飲料の大豆、食パンの小麦の生産者であるボブさんが、アメリカはノースダコタ州から九州にやってきました。
今では九州・沖縄の生協組合員になじみ深いボブさんですが、「どうして豆腐の原料にアメリカの大豆を使っているの?」「ボブさん一人で大豆や小麦を育てているの?」「ボブさんって実在の人物だったの!?」という声が寄せられることも。
今回の来日を機会に、ボブさんに生協とのつながりの始まりについてあらためてお話を聞きました。

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ボブさんことロバート・シナーさん(ララコープでの交流会にて)

 

<ボブさんの大豆や小麦をつかった商品>

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ボブさんの正式なお名前はロバート・シナーさん。農家でもありますが、SB&Bという会社の代表者でもあります。SB&Bグループは、作物の生産から選別、販売までを行っています。

まずは、SB&Bの歴史を簡単にたどってみましょう。

1906年
ボブさんのひいおじいさんが、ドイツからアメリカに渡ってきて農業を始めました。

1952年
ボブさんのおじいさんが、生産者の組織としてSB&Bを設立しました。現在ボブさんのいとこにあたるのがブラスナハン家です。シナー家とブラスナハン家の兄弟たちの会社という意味でSB&Bと名づけられました。
S:シナー
B:ブラザーズ
B:ブラスナハン

その後、SB&Bはボブさんのお父さんに引き継がれました。
ボブさんのお父さんはノースダコタ州の州知事を務めたり、ノースダコタ、サウスダコタ、ミネソタ、モンタナの4州における農産物振興のための研究機関(NCI)の設立に携わったりと、この地域の農業の発展に力を入れた方でした。
そして、1980年代、ボブさんが代表を務める時代となりました。

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ここからは、生協とのつながりは始まった当時からのボブさんの思いをご紹介します。

私は会社を引き継いでから、アメリカ国外との取引も視野に入れ始めていました。
1980年代の終わり頃だったと思いますが、仕事で日本に来ていた時に、今も生協との取引で間に入ってくれているアグカルジャパンの清水社長からホテルに電話が入りました。「15分で行くから会ってくれ」と言うので、どんな話なのか興味を持ち、会うことにしました。
生協の説明から二人の会話が始まりました。
SB&Bの代表となったばかりで情熱もあり、生産者から消費者に直接ものを売ることができるという活動は魅力でした。「生協」がどういうものかを知りたいと思いました。
その時、言われたのが農薬は必要最小限で肥料も少なくしてください。生協のルールはとても厳しい、さらに利用者である組合員の目も厳しいのだと聞きました。

その出会いの後、話を詰めていったのですが、なにしろ30年前なので、メールもありませんし、連絡はFAXで取るしかありませんでした。電話で話すこともできましたが、海を越えての会話となります。そのような環境の中で何時間も何時間も話し合って仕事を作り上げていきました。

 

九州・沖縄の生協とのお付き合いが始まったのは1995年。日本国内の大豆が不作となり、生産者が明確な海外産大豆を探していたコープ九州のみなさんに関東の生協から紹介していただいたのがきっかけです。

生協と付き合い始めて大豆づくりのやり方が変わったかというと、実はそれほど変化していません。生協から条件をもらった時、それほど厳しいものだとは思いませんでした。自分も同じように考えてやってきていましたから。
大きな違いは、それまでは油を搾る大豆を育てていたのが、豆腐などになる「食べ物」としての大豆を作るようになったことです。


また、当時のアメリカからの穀物の輸送は、ミシシッピ川を下って、パナマ運河を通って太平洋を越えるルートが多かったのですが、安全に速く安く運ぶことを模索し、鉄道でシアトルに出る経路に変えました。ミシシッピ川を下るルートは時間がかかりますし、赤道を通るため作物の品質に影響があります。

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ボブさんの大豆の物流ルート

 

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ウィスコンシン州ブルーマー選別工場

 

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ノースダコタ州キャセルトン選別工場

1997年にSB&B Foods,Inc.という販売会社を設立、2000年代に入ってからはノースダコタ州のキャセルトンとウィスコンシン州のブルーマーに選別工場を建てました。大豆に極力ダメージを与えないようベルトコンベアーの速度を通常よりゆっくりにするなどの工夫をしています。穀物工場は粉じんが多いのですが、従業員が健康に働き続けられるよう排気システムを整えて、マスク無しで作業ができる工場となっています。

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サイロ内の画像 ※サイロ・・・大豆や小麦を入れる貯蔵庫

選別工場のサイロは小型で、生産者ごとに分けて管理ができます。サイロの内側には突起がなく、つるつるした素材で、生産物がサイロの壁に残らないようにしています。
現在200を超える契約農家の誰がどのように栽培したかの記録はSB&B社で管理し、全工程を通して、誰がつくった作物なのが分かる仕組みにしています。

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研究機関NCI(Northern Crop Institute)

九州・沖縄の生協ではわたしたちの大豆を豆腐にしていただいているのですが、豆腐に適しているかどうかにはたんぱく質の量が重要です。取引を始める時に、あちこち探しまわって、ミネソタ大学にあるのを見つけたのですが、芽が茶色で豆腐には適しませんでした。その後ノースダコタ州立大学などのフードサイエンティストと一緒に研究を始めました。作物はなんでもそうですが、大豆の種は10年ぐらいで劣化してきます。そのため10年サイクルで次の品種を見つける必要があり、常に次の品種づくりを見据えて研究を続けています。ノースダコタには品種研究のための畑もあり、いろいろな品種の大豆を栽培し、次を担う品種を模索しています。

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SB&Bの大豆実験圃場

生協と歩む中でこのような改善を重ねてきました。生協とのつきあいは自分にとって特別なものです。

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生協くまもとへの訪問

私も1~2年に一度は九州に来ますが、ここ10年ぐらいは生協のみなさんにアメリカに来てもらう機会が増えてきて、うれしく思っています。
私は、対話、よく話し合うことを大切にしています。私たちの考え方や生産方法に共感してくれる人たちに、私たちの生産物を食べていただけることを常々うれしく思っています。

生協の組合員さんと初めて会った時、買ってくれる人たちが直接自分に感謝してくれることが言葉にならないほどうれしかったことを鮮明に覚えています。契約農家のみんなも同じ気持ちですので、自分が利用者(生協組合員)と農家をつなぐ役割を果たせることをとても誇りに思っています。これらのことが自分を働かせる原動力になっています。

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ララコープ店内での組合員との会話の様子

 

 

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コープおおいたでの交流会の様子

生協組合員とのつながりを大事にしてここまで大きくなったことを農家のみんなにも知ってほしいと思ってこれまでやってきました。関わるメンバーみんなに知ってもらうことが大切で、貴重なこと。これからも力を注いでいきます。

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エフコープ新宮店で交流会を行いました!

 

株式会社アグカルジャパン 清水社長のお話し

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九州とのきっかけを作っていただいたアグカルジャパン株式会社の清水社長

1970年代からアメリカの農産物を日本に入れる仕事を始めました。
アメリカの生産者は日本の消費者に直接農作物を買ってほしいと思っていましたが、日本の流通は複雑で、なかなかうまく行かないこともありました。
1980年代後半から1990年代初頭ごろ、世界最大の消費者団体として日本の生協を紹介され、そのつながりで関東の生協から大豆の産地紹介を依頼されました。
アメリカの生産者を探している際、カリフォルニア州でノースダコタのボブさんのお父さんのこと教えてもらい、SB&Bを知りました。
仕事で日本に来ていたボブさんに電話で面会の約束をしたのが、彼との最初の出会いでした。

 

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