コープ職員ルポ

大分臼杵訪問記

コープ九州:石井梨香

臼杵市は、大分県の東南部に位置する人口は約4万人のまち。東は豊後水道に面し、ふぐ料理や石仏でその名を知られています。そして醬油やみそなど、醸造業が盛んなまちでもあります。その臼杵に、コープの醬油やみそを製造しているフンドーキン醬油株式会社があります。醸造のまちに根ざしたフンドーキンの歴史と今を訪ねました。

その4=時間と温度が勝負の味噌づくり。

《 味噌工場 》

よい原料を受け入れる。これが最初のポイント

味噌の原料は、大豆と米や麦。受け入れ時にサンプリングを行い、動物(虫)はゼロ、植物性のものは3個以内に達しているのもののみを入れています。受け入れた原料は、選別ラインで確認。色彩選別機などを使い、ごみなどによる二次汚染を防いでいます。機械は最新式ですが、その調整は人が行うため、人材育成が大事な課題だそうです。

選別ラインを見学中
選別ラインを見学中

味噌は何からできるの?

味噌づくりを図式にするとこのような流れになります。

味噌製造工程の簡単な図式

九州は麦味噌圏

大豆と麹と塩をまぜて発酵させてつくるのが味噌ですが、麦味噌は西日本から九州で多くつくられています。小手川社長によれば、九州は麦の生産地だったこともありますが、米が潤沢にあるほど豊かではなかったからでは?とのこと。味噌はそれぞれの家でつくられることも多く、商売としてつくっていたところは醬油ほど多くなかったそうです。

麦麹にする麦は、ハダカムギやオオムギなど、主に九州産を使っています。工場長の今﨑さんによると、九州は麦の産地だけあって、殻を削るのが上手なメーカーがあるのだそうです。原料を育てる人、使える形にする人、そして味噌をつくる人、食べ物は多くの人の手を経てつくられているのだということを感じるお話しでした。

味噌づくりは時間が勝負

工場内には蒸した大豆の香りがほわっと漂っています。大豆はまず夏場は8時間、冬場は10時間かけて水に漬けられます。その後、余熱を利用して80度で40分間煮、さらに高圧で短時間蒸してやわらかくしたあと、3ミリサイズのミンチ状にします。3ミリは分解をすすめるためにちょうどよい大きさです。

「このぐらいのやわらかさまで蒸し上げるんですよ」と今﨑さん。
「このぐらいのやわらかさまで蒸し上げるんですよ」と今﨑さん。
蒸し上げられた大豆が運ばれて
ミンチ状になります。
蒸し上げられた大豆が運ばれて、ミンチ状になります。

今﨑さん曰く、ここが重要な工程。短時間で蒸して、蒸した後の工程をすばやくすることで、大豆の色が変わらずきれいな色の味噌ができます。だから味噌は時間が命。手際のよさが肝心なのだそう。
その後大豆は、40~45時間寝かされた麹と塩とあわせられ攪拌。2トンタンクにつめて、振動板でならし、200キロの重石を置いた状態で発酵室に運ばれます。

麹室からベルトコンベアーで運ばれてくる麹。中央の赤い光は温度を測るセンサーです。
麹室からベルトコンベアーで運ばれてくる麹。中央の赤い光は温度を測るセンサーです。
大豆と麹と塩が混ぜられています。
大豆と麹と塩が混ぜられています。
混ぜられた味噌のもとは、こちらの2トンタンクの中に。今は攪拌もタンクにつめるのも機械の力で行われていますが、昭和20年代はすべて人の手で行われていました。麹や大豆が入った重たい桶を担いで運び、混ぜ合わせ、大きな仕込み樽に移す。たいへんな重労働だったそうです。
混ぜられた味噌のもとは、こちらの2トンタンクの中に。今は攪拌もタンクにつめるのも機械の力で行われていますが、昭和20年代はすべて人の手で行われていました。麹や大豆が入った重たい桶を担いで運び、混ぜ合わせ、大きな仕込み樽に移す。たいへんな重労働だったそうです。

醗酵室には、25℃の部屋と33℃の部屋があります。味噌の種類によって、温度と入れておく時間が決まっています。味噌それぞれの設計があるのだそうです。発酵が終わると、15℃の部屋へ。今度は低温で発酵を止め、熟成させます。発酵と熟成で約2カ月かかります。

醗酵室に並んで入れているタンク
醗酵室に並んで入れているタンク
次々と袋詰めされていくコープのあわせみそ
次々と袋詰めされていくコープのあわせみそ

<コラム>
コープの醬油のパッケージの製造者欄にはフンドーキン醬油ではなく、「大分醬油協業組合」と書かれています。その理由を小手川社長に聞きました。

昭和38年中小企業近代化促進法ができました。日本の中小企業をもっと強くしようという法律で、製造業では業種別に各自の小さな工場はやめて、組合立の工場をつくり、それに国が融資をするという法律でした。大分県でもみそ、醬油で協業組合を作ろうとフンドーキン醬油の当時の社長力一郎が1軒1軒、説得してまわったと聞いています。そして27社が集まってできたのが大分醬油協業組合です。いまだに家族会で年に1回旅行に行ったりしているんですよ。工場では、それぞれの組合員の商品を作り分けていますから、多品種少量を生産する工場になっています。大分醬油協業組合の工場として建てられましたが今はフンドーキン醬油の製品を95%以上出荷しています。味噌工場も同様に大分みそ協業組合の工場です。

石井梨香
1986年エフコープ生活協同組合入協。店舗、組合員活動、広報などの仕事を経て2009年から商品政策室へ。2児の母(一人はすでに独立)。「伝統とチャレンジを両立させるフンドーキンさんの姿勢を感じた視察でした」。

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